日本サッカー協会新技術委員長の宮本恒靖の華麗な経歴

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日本代表がブラジルW杯での惨敗を受けて、日本サッカー協会が新しく技術員長宮本恒靖氏を任命しました。

宮本恒靖といえば2002年日韓W杯やシドニー五輪で日本代表のキャプテンを勤めた経歴があります。

また甘いマスクとルックスで女性ファンからも大変な人気があったことは記憶に新しいでしょう。

将来の日本サッカー界を担うにふさわしいキャリアをもつことで期待がおおいに期待が持てそうです。

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その宮本恒靖の輝かしい経歴

宮本恒靖②

新技術委員長の宮本氏の輝かしい経歴を見てみましょう。

G大阪の下部組織に所属していた宮本氏は95年にプロ契約を果たしますが、当時はなかなか出場機会に恵まれず。

そんななか同志社大学経済学部に進学し、サッカー選手と並行して学業に励みます。

その後ボランチで出場機会が増え、2000年にG大阪のキャプテンとしてチームのリーダーになります。

また2001年にはイングランドプレミアリーグのウエストハムへの移籍が進められるも、ビザがおりずに断念。

2002年には新しく就任した西野監督のもとセンターバックへとポジションをチェンジ。

当時のトルシエジャパンでもキャプテンを勤め、G大阪と日本代表でともに3バックの一角として活躍。

ちなみに2002年にはキャプテンと同時にトルシエジャパンの代名詞であるディフェンス戦術であるフラット3の中核を任され見事W杯ベスト16に貢献した。

また次のジーコジャパンにおいても出場したすべての試合でキャプテンを任され、宮本=キャプテンという代名詞が完全に定着することに。

ドイツW杯では2度目のW杯を経験するも予選リーグ敗退。

これまでU-17時代から、A代表に至るまで全てのカテゴリーでキャプテンを務めたのは宮本以外いません。

2006年にはG大阪からオーストリアのザルツブルクへ移籍し、見事優勝に貢献。

その後欧州での経験を生かしたいとヴィッセル神戸へ移籍し、2011年に現役を引退。

引退後の2012年には日本プロサッカー選手で初となるFIFAマスターに合格しました。

その後ブラジルW杯でのテクニカルスタディーグループの1人として日本代表を影から支えました。

そして、2014年ブラジルW杯を終えて日本サッカー協会の技術委員長へ就任し時期W杯へ向けて新監督と新生日本代表を指導する立場になりました。

宮本恒靖

現場サイドの責任者が監督なら、技術委員はプロ野球で言うところのフロントの部分にあたります。

今後は新監督の人事や強化試合の設定、Jリーグとの調整、新監督と新生日本代表の戦術の共有や方向付けなど多忙を極めることでしょう。

間違ったフロントの方向付けがもたらした今回のブラジルW杯での惨敗を繰り返さないためにも、宮本新技術委員長の責任は極めて大きいと言えます。

長らくピッチで日本代表を引っ張ってきただけに、持ち前のリーダーシップで世界と戦える日本代表へと引っ張っていただきたいものです。

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